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概要:[東京 31日] - 日本経済が自信を失い、閉塞感に覆われた平成の時代に、大きく躍進した分野がある。それはスポーツだ。 サッカー日本代表は1998年のフランス大会からワールドカップ(W杯)の常連となり、1995年のW杯南アフリカ大会で強豪ニュージーランドに17対145の惨敗を喫したラグビー日本代表は、2018年秋のテストマッチで同じ相手に過去最多の5トライを挙げた。 テニスでは21歳の大坂なおみ選手がグランドスラム(四大大会)を2度制してアジア選手初の世界ランク
[東京 31日] - 日本経済が自信を失い、閉塞感に覆われた平成の時代に、大きく躍進した分野がある。それはスポーツだ。
サッカー日本代表は1998年のフランス大会からワールドカップ(W杯)の常連となり、1995年のW杯南アフリカ大会で強豪ニュージーランドに17対145の惨敗を喫したラグビー日本代表は、2018年秋のテストマッチで同じ相手に過去最多の5トライを挙げた。
テニスでは21歳の大坂なおみ選手がグランドスラム(四大大会)を2度制してアジア選手初の世界ランク1位に輝き、錦織圭選手も一時4位まで上り詰めた。
水泳、バドミントン、野球、卓球、体操、フィギュアスケート、陸上、スノーボード――。世界のトップレベルで日本の選手が活躍する姿を目にするのはもはや当たり前だ。この30年間で何が変わったのか。
元プロテニスプレーヤーで、現在スポーツキャスターの松岡修造氏は、アスリートの「常識」が変わったことが大きいと話す。一握りの先駆者が世界に挑み、成功事例を作ったことで、昭和のスポーツ界を支配していた「どうせできない」という空気から解放された。
自身もウィンブルドン選手権で日本男子として62年ぶりのベスト8に進出した松岡氏は、「『できる』と自分を信じられる選手は強い」と話す。
<昭和のテニスブームはファッション>
──平成の話に入る前に昭和について聞きたい。皇太子ご成婚や漫画・アニメなどでテニスブームが起きた。
「当時はファッション、お洒落の感覚が強く、テニスをしない人もテニスラケットのカバーを持っているような時代だった。本当の意味で世界で活躍する日本の選手はいなかった」
──テニス人口は増えたのに、なぜ世界で活躍する選手が育たなかったのか。
「日本国内の大会が増え、賞金も上がり、テレビ中継もされた。ゴルフもそうだったが、日本の選手は日本での活動だけで生活できた時代だった。海外のグランドスラム大会に挑戦する選手もいたが、本腰は入りにくかった」
<平成で解放された選手の意識>
──平成になると日本人選手が世界のトップレベルで活躍するようになった。何が変わったのか。
「一番の違いは選手の意識が変わったことだ。かつて日本の男子テニス選手は世界ランキングの100位に入れないというのが常識だったが、僕が46位に、錦織(圭)選手は最高で4位に入った。その結果、自分もできるかもしれないと思えるようになったことが大きい」
──「常識」で抑えられていた選手の意識が解放され実力を発揮できるようになったということか。
「杉田(祐一)選手や添田(豪)選手が50位以内に入った。彼らをジュニア時代から見てきたが、錦織選手のような世界的な才能があるとは言い切れなかった。その彼らがあのランキングに行けたのは、錦織選手が4位に行けたことよりも可能性を感じさせる出来事だった」
「錦織選手は別格だ。ジュニアに指導するときに、僕は錦織選手の名前は通常出さない。出すのは杉田選手や添田選手の名前だ。彼らができるのだから君らもできると伝えている。本当の意味での可能性は彼らが開いたと言える」
──「できる」という感覚はスポーツにおいて大きな違いを生むのか。
「ポジティブな思考の中で作り上げていくものと、ネガティブな思考で作り上げていくものでは大きな差が出る。(ゴルフの)松山英樹選手、(フィギアスケートの)羽生結弦選手、(体操の)内村航平選手。錦織選手を含め、昔の選手とは感覚が違う。彼らは最初から『できる』と思っている。僕は『できない』と思っていたグループだった。『できる』と自分を信じられる選手は強い」
「子供たちはちゃんとやればできるという意識に変わった。昔は世界一になりたいと口にもしなかったし、思いつきもしなかった。今の子供たちは全員が世界一になりたいと言う。やりたい、できる、そういうイメージがあるのだろう」
──松岡さんが世界に挑戦した時は、そこに「常識」すらなかった。
「僕は相当遠回りした。練習相手を見つけたり、飛行機やホテルを予約するのは日本の選手が苦手としていたことで、なかなか世界に挑戦する選手がいなかった。それらの方法論を具体的に正確に伝えることで、プロテニスプレーヤーとしての一歩が踏み出せる。そこを埋めていけば、日本の選手は世界で十分戦えるという確信が僕の中にあった。僕は20年、テニスに必要な技術だけでなく、世界の厳しさやそれを乗り越える術をみんなに伝えてきた」
<「錦織」という才能>
──錦織圭選手は特別なのか。
「才能を含めて特別。メンタル面で教えることはあったものの、彼は11歳のときに、私ができないプレーができていた。彼のプレーを見て日本の選手がその技術を吸収し、彼が作り上げた新しいテニスを学んでいっている。今、テニスのことを最も教えてくれている人が錦織選手だ」
「ショットの選択などは、教えようとしても教えることはできないものだが、錦織選手からは新しいアイデアがどんどん出てくる。(現在世界ナンバーワンの)ジョコビッチ選手でさえできなかった(錦織選手の)スピードテニスをみんな取り入れるなど、世界が錦織選手のまねをしている。あの背丈でああいうテニスができるのであればと、僕らもテニスの強化に取り入れていくことができる」
──第2の錦織選手が出てくる可能性は。
「可能性はあるが、あの才能はそうそう出るものではない。だからこそ、ランキングで100位に入る選手を増やすためにテニスをもっと普及していきたい。土台を大きくすればするほど、強い選手は出やすくなる」
<体育からスポーツに>
──スポーツ全体からみた平成とは。
「日本は『体育』という考え方でスポーツが行われてきた側面を持つ。言われたことをする、教えられた通りにするというものだ。それが悪いわけではないが、平成に入ると、自分はこういうスポーツをしたい、このスポーツが好き、スポーツを楽しむという様に、より欧米的な『スポーツ』に近づいてきたように思う」
「戦略や技術について、より具体的な指導も増えてきた。昔はただ走れとか、水を飲むなといった根性論で指導していた時代もあったが、今の子供は理解しないと動かない。子供が理解できる内容、日本人に合った内容を指導者が本気で考え、伝えていくことが強さにつながっていく」
「スポーツはよりビジネス的かつプロフェッショナル的になってきた。お金を稼げる選手かどうか。お金が動くということは、そのスポーツ、その選手に魅力があるということだ」
「昔の考えのままだと時代の流れに置いていかれる。逆に言えば、どのスポーツにもチャンスがある時代だ。バドミントンや卓球は(「以前は」をカット)マイナースポーツだったが、今は違う。マイナースポーツでもチャンスがある時代になった」
<個と和、次の時代に望むこと>
──平成の次の時代に望むことは。
「『何となく』の時代であってほしくない。誰かがやってくれるとか、どうにかなるだろうとか、中途半端な感覚ではいてほしくない。一人一人がやりたいことをしっかり見つけて、日本の強さである『和』の良さが発揮されたときに、とんでもない力を発揮する」
──個と和は矛盾しないか。
「個としてしっかりした意見を言いながら、チームとして作り上げていくことはできる。テニスのジュニア選手には、個で戦うなら体力的に不利な僕らは絶対負けるよと言う。だからチームで戦おうと。みんなの力を自分の中に取り入れる感覚だ。それが日本の強さだと思う」
<最初からレールを決める親>
──平成の間に子供、若者は変わったか。
「今の子供たちは、最初から親がこうしたいと決めてくることが多い。親やコーチが言う通りに道が作られてしまうと失敗はしにくい。しかし、子供が自立するには失敗しながら、成長していくことが必要だ。今は失敗するのが怖い、安定したいという風潮になってしまっているが、失敗を恐れずチャレンジしなければ成長は難しい」
「14歳でプロになろうという選手がたくさん出てきた。それは悪いことではないが、プロになることが成功ではない。プロになりたいと本気で思っているのが誰なのかということが大事だ。親がさせたいのか、コーチがさせたいのか。自分自身がやりたいのでなければ本当の意味での成功にはならない」
「言われたことができて、ミスをしなければ、実力が伸びる競技もあるかもしれない。しかし、テニスは想像力がすべて。自分というものをしっかり持っていないとできないスポーツだ。コートの上では誰も頼れないから。そういう点では、日本人向きじゃないのかもしれないと思っていたが、平成に入り、もしかして向いているのかもしれないと思い始めていた。ただ最近は、あまりにも親の期待や焦りが強い。期待するのも理解できるが、親の思いが強すぎると子供の成長の妨げになる可能性もある」
「16歳からでも可能性はある。(本格的にトップ選手を目指すなら)12歳でここまで行かなきゃいけないなどと思った時期もあったが、いろいろな人と話をする中で、日本人は外国人に比べ発育も遅いので、スロースターターでもいいかもしれないと考えるようになった。逆に長く現役を続けられるかもしれない。比べる必要はない」
<子供たちが夢を持てる東京五輪に>
──来年は東京オリンピックが開催される。
「1964年の東京五輪とは違う。何もかも出来上がっている国がオリンピック・パラリンピックを再び開催することになった。何か新しいものがあるか。何か燃えるものがあるか。何か本気になれるものがあるか。一人一人が『東京2020』に向けて何かできることはないか考えることが大切だ」
「オリンピック、パラリンピックを一番感じてほしいのは子供たちだ。世界からいろいろな国が、人が、文化がやってくる。子供たちが世界を身近に感じ『世界で活躍したい』という思いをどれだけ持てるか。子供たちが大きな夢を持てる大会であってほしい。彼らがこれからの日本を作っていくのだから」
*インタビューは1月21日に行いました。
*本稿は、ロイター特集「平成を振り返る」に掲載されたものです。個人的見解に基づき書かれています。
*松岡修造氏は、1967年東京都生まれ。10歳から本格的にテニスを初め、86年にプロ転向。92年には、シングルで当時日本人最高位の世界ランキング46位を記録。95年、ウィンブルドン世界選手権で日本人男子として62年ぶりにベスト8に進出するなど、日本を代表するプロテニスプレーヤーとして活躍。現在はジュニア育成とテニス界の発展のために力を尽くす一方、『報道ステーション』(テレビ朝日系)など、メディアでも幅広く活躍している。
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