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概要:吉本興業をスーパー企業にしようとしていた大﨑洋会長。20年以上、大崎会長と吉本を見続けたライターが解説する大崎一強体制とその野心。
「光営業」という言葉を使ったのは、お笑い芸人のプチ鹿島さん(ワタナベエンターテイメント所属)だ。時事ネタを得意とし、コラムなども執筆する彼が、吉本興業・岡本昭彦社長の会見を受け、ラジオ番組でその言葉を使っていた。
問われる吉本興業の会社という「あり方」。全てはこの会見から始まった。
撮影:今村拓馬
「闇営業」の反対としての「光営業」。何を指したかというと、沖縄だった。
「間違いなく光営業、自慢の躍進」
6月20日に開かれた「基地跡地の未来に関する懇談会」に吉本興業・大﨑洋会長が出席した。クールジャパン機構が最大100億円を出資する吉本とNTT共同出資会社の拠点が、沖縄に作られる。地元の意とは別に「跡地利用」を強調する政権、吉本興業。互いの関係を説明し、こう語った。
「芸能プロダクションの枠を超えて、国政トップの中に入っている。これって、吉本さんからしてみたら、間違いなくピッカピカの光営業ですよね。自慢の躍進ですよ」
プチ鹿島さんがこの光営業という言葉をラジオ番組で語ったのは7月23日。吉本の今後のあり方について2つの方向を提案していた。1つは「国、政権と絡み、税金も使うスーパー企業になる。それには自身の体質を改める」。もう1つは「体質は今のままでいい。そのかわり、政権や国との関係、その野心を見直してもらう」と。
改めるべき体質についての詳述はしない。ここからは長く吉本興業を知る者として、一連の騒動から思ったことを書いてみる。
「このざまだ」と思わず出た本音
吉本の教育事業構想を発表するメディア向けのカンファレンスにはNTTの澤田純社長(左)、クールジャパン機構の北川直樹社長(中央)、吉本興業の大﨑洋会長が顔をそろえた(4月21日、那覇市で)。
撮影:小島寛明
プチ鹿島さんが指摘した沖縄は、吉本興業が近年、力を入れている場所だった。2009年から沖縄国際映画祭を開き、2018年には沖縄ラフ&ピース専門学校を開いた。文化と教育。興業を離れ、事業を拡大する。その象徴が、沖縄だった。
プチ鹿島さんが「野心」と表現していたが、その実態は「大﨑洋の野心」だったと思う。ただし彼は「個人的な成功」より、吉本興業をプチ鹿島さんの言うところの「スーパー企業」にすることを追い続けていたと思う。スーパー企業の先に、個人的成功はついてくる。そんなところだったかもしれない。
宮迫博之さんらの反社会的勢力とのつながりが「FRIDAY」に報じられた直後、彼は共同通信の単独インタビューに応じている。社長になってからの10年を振り返り、「このざまだ」と口にした。反社会的勢力とのつながりを切るため、自分が社内でどれだけ努力したか。その思いから、つい飛び出した本音だろう。
ヤクザとつながる興業会社を脱し、一流の、世界とも、政権ともつながる企業にしたい。そんな「光営業」を求めてきた大﨑会長と、さまざまな問題が噴出している現在の吉本興業。そこをつなぐものは何だろうか。
「大﨑クビにしたら会社潰れんで」
7月11日、Business Insider Japanの取材を受けた大﨑会長。これまでの吉本のやり方を変えるつもりはない、と語っていたが……。
撮影:今村拓馬
私が大﨑会長と初めて会ったのは今から25年ほど前、まだ大﨑課長だった時代だ。週刊誌の編集部で松本人志さんの連載担当になった。松本さんのマネージャーは岡本さん(現社長)で、大﨑さんは「おかもっちゃん」と呼んでいた。原稿の最終チェックは大﨑課長。連載は大ベストセラー『遺書』『松本』となり、以来、吉本興業との付き合いは続いている。
大﨑さんの人となりを端的に説明するのは、週刊文春に答えた島田紳助さんの言葉だと思う。やや長いが引用する。
「大﨑クビににしたら会社潰れんで。ほんまに。イメージはどうだか知らんけど実質問題、大﨑という人間はカリスマ的な人間だったし、今吉本の中で唯一カリスマがある人間やし、クリエイティブな能力があって出世した男やし。タレントの気持ちもよくわかるし。だから松本の“兄貴”っていう言葉がぴったりだと思うよ」
大﨑さんは吉本興業における「一強」だと、島田さんは言っている。その「カリスマ性」の背景には「クリエイティブな能力」と「タレントを思う気持ち」があると。その通りだし、さらに付け加えるなら「先見性」もあった。
ライバルに「絶対勝ってみせる」
中国への進出、Netflixやアマゾンとの取り組みなど、吉本を発展させたのは、その“先見性”だった。
撮影:今村拓馬
大﨑さんに中国からの留学生を紹介してもらったのは、90年代の終わり頃だった。音楽好きな国立大学の留学生で、共産党幹部の子息だと聞いた記憶がある。
「これからは、中国だと思う。マーケットの広さが日本と比べものにならない」
大﨑さんは、そう言っていた。
社長になった翌年の2010年、彼は中国のメディアグループ「上海SMG」と長期的な業務提携合意を発表した。2019年3月には、中国の投資&事業運営グループと吉本興業との合弁会社が発足、2020年3月にエンタメ専門学校を上海に作る計画だという。
先を見通し、ぶれずに着実に事業を形にしていく。大﨑一強体制になるのも当然だ。
大﨑さんは時々、具体的なライバルの話をしていた。それは同年代に限らないのだが、「絶対、勝ってみせる」と言ったりしていた。傍目から見ての話だが、大﨑さんと肩を並べているように見える人はいた。だが、いつの間にか社外に出ていった。
地方を「若い子でなんとかならへんかなー」
住みます芸人はアジアへ。ミャンマー住みます芸人はクールジャパン機構と組んだ。
撮影:小島寛明
岡本さんと最後に話したのは、確か「住みます芸人」のことだったと思う。全国47都道府県に所属タレントを派遣し、そこで活動させる。エリア担当社員も採用する。そういうプロジェクトで2011年4月にスタートした。
「地方の元気がないという記事を大﨑が読んで、『うちの若い子らで、なんとかならへんかなー』って言ったのが始まりなんですよ。仕事も作れるし、喜んでもらえるんじゃないかなーって」
と岡本さんが説明してくれた。
大﨑さんの「タレント思い」が、お笑いにとどまらず、国のあり方のようなものとはっきり重なっていったのは、この頃だったのではないか、と思う。岡本さんはもう副社長になっていたか、まだ専務だったか。とにかく誇らしげに話していたことを覚えている。
松本を語る「兄貴」の愛
所属する芸人からも、不満の声が漏れている。
撮影:今村拓馬
少し話を変える。文藝春秋2019年4月号が「平成31年を作った31人」という特集を組んだ。そこに吉本興業のタレントが2人選ばれていた。松本人志さん(平成3年)と又吉直樹さん(平成27年)。松本さんのことを大﨑さんが語り、又吉さんは自分で振り返っていた。
平成3年は「ダウンタウンのごっつええ感じ」がゴールデンで放送開始になった年。大﨑さんは2人との出会いから語った。漫才の新しさに驚き、新しさゆえに理解されず売れない2人に「世界を狙えるよ」と言ったこと、放送局が使ってくれないので「心斎橋2丁目劇場」を作ったこと、売れてすぐ松本さんに「映画を作って、本を書こう」と言ったこと。大﨑さんの語りが弾んでいる。
「映画と本」と、お笑い以外の道を提示したことについては、「松本は芸人の道を追い求めすぎて、破滅する恐れがあった。止めないと若くして死ぬんちゃうかと、私はずっと心配でした」と説明していた。松本さんが大﨑さんを「うちの兄貴」と言った。兄貴への道、兄貴からの愛。文藝春秋の3ページにあふれていた。
上の世代の基準が閉鎖性に
又吉さんが平成27年に選ばれたのは、『火花』で芥川賞を取った年だから。単行本と文庫で320万部を突破しているが、又吉さんの口調は弾まない。
その年に出た本は『火花』以外に10万点近いと語り、「僕の本が売れた事実よりも、売れない本がこれだけあった事実の方が、現象としては大きい」と語った。生きにくさが増していった平成の終わり。又吉さんと大﨑さんの調子の違いは、昭和と平成の違いのようでもある。大﨑さんがダウンタウンと出会ったのは、昭和57年なのだ。
又吉さんはそこで、こんな発言もしている。
「閉鎖性が生じるのは、物事の『基準』や『視点』があまりにも上の世代のものになっているからでもあります」
松本と加藤、見える吉本が違う
前後の文脈は省くのだが、加藤浩次さんの言葉を思い出した。7月22日、「スッキリ」(日本テレビ系)での発言。今の体制が変わらないなら吉本を辞めると言い、「加藤の乱」とも呼ばれている。
「若手芸人とか僕ら以下は、みんな怖がってる。今の会社の状況、大﨑さん岡本さん、この2人をみんな怖がってる。楽しい笑いできんのかなあ。今の体制で」
加藤さんはそう言った。前日、「ワイドナショー」(フジテレビ系)で松本さんが「大﨑さんがいなかったら僕も辞めるので、うちの兄貴なんで」と発言したのを受けてのことだ。
松本さんが見ていた吉本と、加藤さんから見えていた吉本は、違うものだった。加藤さんの後ろには吉本所属の近藤春菜さんが座っていて、涙を流しながらうなずいていた。
タレントの才能と努力への甘え
6000人もの芸人を抱える体制そのものに、無理があるのではという指摘も。
撮影:今村拓馬
又吉さんは「閉鎖性が生じるのは、基準や視点が上の世代のものになっているから」と言った。加藤さんは「下の世代は怖がっている」と言った。重ねるなら、「基準や視点が上の世代のものになっているから閉鎖性が生じ、下の世代は怖がっている」となる。
上の世代とはつまり、会社経営者として「一強」だった大﨑さん以外にいない。気づかぬうちに、閉鎖的になっていたのだ。今の大﨑さんは「よかれと思って経営してきたのに、なぜ?」と思っているかもしれない。
油断をしていたのだと思う。甘えていたのだと思う。何に? 吉本興業のタレントの才能と努力に。
加藤さんは「ここまでずっとみんな我慢して、頑張ってやってきて、こんな浮かばれないことがこの会社で起こってるんだよ」と言っていた。が、逆にいうなら、みんな我慢して、頑張ってきたのだ。
吉本の将来カギを握る松本と加藤
自身が司会を務める情報番組「スッキリ」で、吉本批判、大﨑体制批判を述べた加藤浩次さん。
「スッキリ」のウェブサイトより
加藤さんは吉本社内で見れば、「ダウンタウン系列」ではない。だが、「スッキリ」の司会をもう13年も務めている。又吉さんが芥川賞を取ったのは、35歳の時だ。2人の他にも多くのタレントたちの才能と努力で、吉本興業は松本さんの言うところの「大名商売」ができる会社でいられた。
Advertisementそして、一番甘えさせたのは、松本さんだと思う。
松本さんという天才を見出したのは、大﨑さんだ。その才能と努力で、松本さんは活躍し続けた。大﨑さんはそれを見て、安心して光営業に邁進できたのだ。自分が見出した天才が活躍しているという事実に甘え、油断したと思う。
一方で、軸足を光営業に移してからも、大﨑さんは松本さんの仕事だけは気にかけていた。「だけ」というのは言いすぎかもしれないが、松本さんの仕事に大﨑さんの思いを感じることはつい最近まであった。
大﨑さんと最後に話したのは、5年ほど前だった。ある企画を松本さんにお願いしたいと相談に行った。
「僕がやれって言ってもやらないかもしれない。やるなと言ってもやるかもしれない。直接会って、話してみて」
大﨑さんのアドバイスだった。
吉本興業はこれからどうなるのか。カギはやはり松本さんと加藤さんだろう。
松本さんは最近、加藤さんと話すようになったと「ワイドナショー」で明かした。大﨑さんは一度、加藤さんと面会したが、その後はどうするのだろう。
アドバイスなどする立場には全くないが、大﨑さんと松本さんに言うとしたらこれしかない気がする。
残れって言っても残らないかもしれない。残るなと言っても残るかもしれない。加藤さんと直接会って、たくさん話してみて。
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矢部万紀子(やべ・まきこ):1961年生まれ。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、「AERA」や経済部、「週刊朝日」などに所属。「週刊朝日」で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長を務めた後、2011年退社。シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に退社し、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』。最新刊に『美智子さまという奇跡』。
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